『鴨川ホルモー』『ホルモー六景』2008年04月13日

両方とも読了。

言ってしまえば、京大の学生のサークル活動を描いた青春小説である。そのサークルというのは、京都に古くから伝わるホルモーという競技を京都の大学4校(東大、立命館大、京都産業大、龍谷大)で行うというもの。ホルモーというのがなんとも妙なもので競技者にしか見えないオニの軍団に指令を出して戦わせるというシロモノである。

このホルモーという仕掛けというか、舞台装置は、そのアイデアにせよ、荒唐無稽なものにそれなりのリアリティを与え得る筆力にせよ、まぁたいしたもんだと思う。しかし『鴨川ホルモー』を読んだ時点での感想としては、小説としてのできはイマイチかな、と思った。登場人物に奥行きがないというか、魅力を感じないというか。ストーリーの運びや伏線のはり方も雑である。一目惚れというのは、さしたる理由もなく惚れてしまうから一目惚れなのであろうが、一目惚れという言葉に頼りすぎ。レナウン娘には不覚にも笑ってしまったが。

さらに言うと、ホルモーは10人対10人で競う競技だという設定なのだが、この10人の頭数をそろえるために、登場人物が無駄に水増しされているようにも思う。ひょっとすると、映画化など他メディア展開をにらんでのことだったのだろうか、などとげすの勘ぐりをしてしまう。とにかく大学生がわいわい出てくるようなストーリーだと、売り出し中の若手俳優にごしゃっと役をあてることができるから。ちょうど、『バトルロワイヤル』を読んだときもそう思ったもんだ。中学生がわいわい出てくるストーリーだった。映画化の暁にはジャリタレを山盛り出すつもりだろう、と予想していたら、ほんとにそうなった。

とまぁ、あんまり好意的に見ていなかった『鴨川ホルモー』なんだけど、2冊目の『ホルモー六景』を読んで、この作家への評価がずいぶんと変わった。

『ホルモー六景』は『鴨川ホルモー』の続編と言うよりは、いわゆるスピンオフ企画ものの短編集である。『鴨川ホルモー』では脇役あるいはほとんど取り上げられなかった登場人物にスポットを当てて、ホルモーが前提にはなっているが、ホルモーそのものとは少し距離を置いたストーリーが展開されている。

『鴨川ホルモー』の粗雑さから一転して、ていねいな話運びとなっている。人物描写も細やかで、リアリティがある。一つ一つの話は本をまたいで伏線がはってあったのかと思うほど緻密だ。最初から『ホルモー六景』を想定して『鴨川ホルモー』を書いていたのだろうか。

しかし、『ホルモー六景』の表紙のイラストが『鴨川ホルモー』のネタばれになっているのは、なんとかしたほうがいいと思う。

万城目学とほぼ同世代で同じように京大卒で京都を舞台とするファンタジーを書いているのが、最近、わたしがひいきにしている森見登美彦である。京都という舞台がそうさせるのかもしれないが、どこか懐かしい雰囲気を持つ作風もなんとなく似ている。お互いをライバル視しているのかどうかは知らないが、森見氏のブログを見ると、まぁネタではあるにしても、そうとう万城目氏を意識しているようだ。

二人の作品を読み比べると、万城目氏の方がはるかに華やかな学生生活を送っていたように思う。森見氏はいかにもぼくとつとして不器用そうだ。でも、個人的にはどちらかと言うと、その独特の文体、登場人物への感情移入のしやすさ、小説内に構築された世界のいとおしさ含めて、森見登美彦作品の方が好みである。

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